逗子葉山近辺でシステム開発業を生業としてる男の地を這うような日常。

匍匐前進の日々

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たなb
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中津城、所有者が売却検討…市は購入も視野に
http://kyushu.yomiuri.co.jp/magazine/bunkazai/bunka/708/bu_708_082801.htm

1964年に市民らの寄付を合わせて建てられた模擬天守ではありますが、その沿革は凄い。

元々は黒田如水が秀吉から豊前国中津12万石を与えられ築城したのが始まり。しばらくして黒田家は関が原で如水の息子の長政の功績によって、福岡藩51万石に転封となります。(wikipediaには築城途中で福岡に転封と記されてますが、如水の考え方や当時の石高から考えて、小ぢんまりとした質素な城として完成させてたのではと俺は思ってます。)

同年、細川忠興が豊前国豊後国2郡39万石で入封して中津城の大修築を行ってます。最終的に完成したのは元和7年(1621年)。扇形の縄張りに拡張され、日本三大水城としての体裁が整います。

その後、寛永9年(1632年)細川家の熊本藩転封に伴い、小笠原長次が8万石で入封し中津藩が成立したとあります。さらに享保2年(1717年)奥平昌成が10万石で入封して幕末まで続くと。

中津藩は幕末に福沢諭吉を輩出したことで知られてますね。
諭吉は廃藩置県の際、本丸にあたる御殿を残してその他建造物を悉く破却することを進言、それは実施されます。(勿体ない)
その後、西南戦争で御殿も焼けてまっさらになったままになってたところ、昭和になってから模擬天守が建造されたらしい。

とにかくも黒田如水、細川忠興、福沢諭吉といった著名人に縁の在る歴史ある遺跡。関が原の折は、如水が東軍西軍とは別の第3勢力となるべく策謀をめぐらせ、それを実行に移す起点となった城。

なんとか市に買い取ってもらい、必要であれば発掘調査を行って全容を把握し、それがわかるように後世に伝えてほしいものです。

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【2007/10/10 (Wed) 00:17】 ニュース // TRACKBACK(0) // COMMENT(0)
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